補聴器に対する誤解からか、聴覚障害者や難聴者と話をしても通じない事があります。
聞こえる人の立場からすれば、
「補聴器をつけているのに?」
「話がなかなか通じない」
「話を聞いてない」
とイライラしてしまいがちです。
今回はこの話をしましょう。
実は聴覚障害者である私でさえも同じ事をやらかしてしまいます。
先日も初対面のご老人と話をしていたのですが、話が通じません。
「なんだって?」
志村けんさんのおばあさんコントなら笑えますが、実際には笑えません。
お互いに何度も話が通じないので、ついイライラしそうになりました。
はたと気づきました。
「もしかして、耳が遠くないですか?」
と尋ねると、やはりそうでした。
非礼を詫びて、筆談とあわせて話をしました。
年をとってから聴力がやや下がっているとのこと。
軽度の難聴であっても補聴器をつけた方がいいとは思いますが、いろいろな事情があるのでしょう。
この話のように聴覚障害・難聴者が人の話を聞こうとしていないわけではありません。
自分からは聞こえると思い込んでいても、話が通じないため、先の私のようにイライラする事もあります。
悪意があってしているわけではないと思いますが、聞こえる人が難聴や聴覚障害をよく知らないがために、聞こえない人を「努力不足」と決めつけてしまう話をよく聞きます。
それは単に知らないからなのです。
1970年頃は補聴器をつけているだけで指さされたり、侮辱されたと聞きます。そんな頃と比べると随分よくなりました。
現在はまず、そんな事はなくなりました。
「そんな事をしたらいけない」という常識の人の方が多くいます。
聴覚障害者と難聴者が社会的に受け入れられる土壌は十分に育っていると思います。
「この人は自分が難聴・聴覚障害者である事がわからないのだ」
車いすなど外見からわかる障害と違い、聴覚障害・難聴は外見ではわかりにくいと言われます。聴覚障害者・難聴者の団体でも耳マークを用意するなど努力していますが、結局は1人1人がわかるように伝えるしかないと思います。
私は青色の耳掛け式補聴器を使っていますが、耳穴型補聴器でわかりにくい人もいます。また、補聴器が使えないために補聴器をつけていない人もいます。
現状としては1人1人がはっきりと
「私は耳が悪いので、わかるように話していただけませんか?」
と伝える必要があります。
「コミュニケーションをとる」努力は必要です。
ただし、
「聞こえるようにする努力」とは別です。
「聞こえる人間になろうとする努力」とも別です。
この違いがわかるでしょうか?
「聞こえるようにする努力」は
補聴器を使ったり、電話の音を大きくするなど、物理的な工夫です。
前回でも書いたように補聴器は「アンプ」と「イコライザー」「スピーカー」を小形化したものです。
「聞こえる人間になろうとする努力」は聞こえないのに聞こえるふりをして、聞こえる人を演じようとするようなものです。
いずれにしても100%はありません。
健聴者でも100%聞こえるわけではありませんから、聴覚障害者や難聴者となるとなおさらです。
難聴者や聴覚障害者が補聴器を使っても、コミュニケーションが思うようにとれないがために
「自分は聞こえる人間になろうとする努力が足りない」
「自分は受け入れられないだろう」
と自分を否定したり、ヤケになったり、ひきこもってしまった話を聞きます。
それは反則です。
自分の人生で与えられたテーマから逃げるようなものです。
私がどんなに力説しても自分を変えられるのはあなた自身しかいません。
自分が置かれている環境を変えようと思うなら、まず自分から変わる必要があります。
自分から
笑顔で堂々と伝えましょう。
「私は耳が悪いんですよ。申し訳ないが筆談でお願いします」
大急ぎでない限り、たいていの人はOKしてくれるでしょう。
注意したいのは
「お互いに適切な形でのコミュニケーションをとりましょう」
「お互いにきちんと伝わるようにしましょう」
と相手を尊重する姿勢を持つ事が必要になってきます。
一方通行でコミュニケーションをとろうとするから辛くなるのです。
わからなかったら筆談もあわせるといいのです。
電話がダメならFAXでもいいのです。
チャットでもメールでもいいのです。
字幕を見ればいいのです。
携帯電話のメール送信画面でチャットしてもいいのです。
でも、失敗もあります。
JR大阪駅構内で道に迷っていた目の見えない方を案内した時です。
「道をお探しですか?」
「はい」
声をかけたのはいいのですが、騒がしくて相手の話がわからないのです。
目が見えないので筆談ができません。
これではお互いにコミュニケーションが成立しません。
「ごめんなさい、私は耳が悪いのです。駅員さんの所まで案内していいですか?」
「いいですよ。」
後日、知人の盲人協会の会長にこれでよかったかと尋ねると「それでいいんですよ」との返事をいただきました。
コミュニケーションの本質はこのような形が一番いいのではないでしょうか。
希に言葉以外の手段でコミュニケーションをとることを面倒くさがる人がいますが、間違いを犯しています。
「大臣と語る希望と安心の国づくり」でも書いていますが、日本政府も前向きにメールで対応したり、FAXでも対応しようと努力しています。
これを書いている今も政府機関から「お願いした書類はまだですか?」の催促の連絡がFAXで来ました。
政府レベルではきちんと対応しているのです。
現在、日本政府は国際障害者権利条約批准に向けて、動いています。
この国際障害者権利条約においては身体障害者の差別を禁止しており、罰則規定もあります。
難聴者や聴覚障害者の情報保障は必須であり、健常者側で配慮する事が定められています。
私個人は法律による処罰規定を定めるのは賛成ではありませんが、今後批准が行われて「差別」に該当する行為を行った場合は罰せられる可能性もあります。
幸いに、日本では理解につとめようとする人の方が多いと実感しています。多くの健常者はきちんと理解しよう、配慮しようと努力している人の方が多くいますから大丈夫です。
自信をもって!
自分らしく!
堂々と、前向きに伝えていきましょう。
かならず道は開けます。
(補足)
人工内耳の場合はは埋め込みによって聴覚神経への伝達の代替をデジタル信号処理である程度行っていますが、その処理量は通常の聴覚神経が46万ビットとすると、人工内耳は22ビットしかありません。
人工内耳ユーザーの方によると、聞こえないよりはマシなレベルで、はっきりとは聞こえるものではないそうです。





